5.7.29

 

  たくさん悩んだ末に答えを出して、大きく変化した。出した答えが正しいのかどうか、今はまだ分からない。自分の事で精一杯なのに、そこに人の事が絡むと本当に分からなくなってくる。結局、物事を自分の裁量の内で完結出来るということが、どれほど楽だったか思い知らされた。

 些細な事で小さな不満を抱えて、いつしかそれが大きくなって、自分でも制御しきれなくなったら。それが怖い。私はできた人間ではないので、心に巣食うものが表面化しなければいいなと思う。 優先されるはそれぞれの意志や想いだとして、果たして、全てに等しく配慮出来るのか。無理だ。結局はお互い自分のそれが最優先になる。だから、切り分けて切り分けて、互いの許容可能な範囲で妥協点を探すわけだけども、その落とし所にも腑が落ちないと、いよいよややこしい。この状況はまるで鏡だ。今まで自分が他人に問いかけた質問を、今、まさに相手から浴びせられている。お前も俺の大切なものを俺と同じくらい大切にしてくれるよな?ってな具合に。限度がある。100%同じは不可能だ。なのに、それを求められ、出来ないなら、せめて理解・同調しろと求められる。こういう気持ちだったんだな。

 盲目的に居られたら楽だろうなと思う。主たる者を自分以外に置けるなら悩むことなど無い。それは推し活みたいなものだと思う。自分以外の人との生活はそうではない。なら何故、一緒に居るのか。多分、これからの人生で答えを見つける事になるんだろうな。私が今のままでは見つからないかもな。好きという感情だけでは越えられないものもある。このままいって、全てに見放されて、最後は独りってこともある。まぁその時は自分を恨む。そうならないように生きたいが。

4.10.14

 物事を長期的な目線で考えて、本当に今のままでいいのかと悩むことは多々あるが、それで寝れなくなるのは初めてだ。仕事の話ではあるが、将来的に衰退するであろうと予想できて、その折に自身が苦労するであろうことが容易に想像できるのに、果たしてこのままで良いのか。そろそろ年齢的に分岐の限界に来ているので、現状のままで本当に自分のためになるのか、きちんと見据えた答えを出したい。結果として、今とまったく違う生活をしていたとしても、それはよくある変化だと割り切る。数年の間で私的な事柄に環境変化があったように、すべてをひっくるめて、生活とはそういうものなんだろう。

 最近、人に依頼されての写真撮影が多くなった。おかげで苦手な人物撮影もそれなりに見れるようなものが撮れるようになっている。併せて、個人的に風景撮ってみた。星空は本当に癒される。

4.8.27


我ながら良い出来。こういうことが出来るのは田舎にいるからこそである。「田舎がお似合い」と半分馬鹿にしたように言われたことがあるが、別に生まれが田舎で、今も田舎住まいなことを嫌だと思った事はそれほどない。昨今、どこに居ても出来ることは増えているし、物理的な距離を実感する事は昔ほど多くなくなっていると思う。比例して人の心の貧しさも増している気がしないでもないが。
やはり作物も生き物で、手を掛けると、その分応えてくれる。この喜びは消費するだけの人には分からないものだ。これは田舎にいるだけでは分からない事でもある。なんでもやってみるのはすごく大事だ。農業楽しいよ。人間関係嫌いな人は、やってみるともしかしたら救われるんじゃないかな。作物は人間よりよほどしっかり応えてくれる。
海が見たい。一日自然豊かな静かな場所でぼーっとしたい。少し疲れてる実感がある。
仕事はしんどいけどそれなりの給料はあって、好きな人と居れて、やりたい事を好き勝手やって、好きな事を喚き散らして、楽に生きてると思う。何故か、それでもたまに心が渇く。

4.7.23

 約一年。もはや書く意味すら疑わしい。ただ、たまに書きたくなる。

 現在は写真やバイク趣味も落ち着いて、新たな趣味に没頭している。具体的にはプログラミング。下賤な理由がきっかけだが、機械学習を行ってみたくて独学で学び始め、奥が深く没頭してしまっている。仕組みをなかなか理解できていないので、参考文献を漁りながら進めているが、これほどまでに統計や数学の知識がないことを嘆くことは人生で初めてだ。ぼちぼち進めていく。

 思い出深い人からも連絡があった。正直なところ、いまだ気持ちの面で整理が終わってない点があり、複雑ではある。ただ、自発的に行動し他人と会うという素養については、それを持ち得る人の特権であると思っていて、私が誰かを誘うことは滅多にしないことを考えると、誘われるだけでもありがたいことなのかもしれない。あとは、やはり一番思い入れのある時期に出会った人との縁だということを考えると、こちらも懐かしくもあって、相手もそれに浸りたいのかなと。これもぼちぼち検討する。相手があることなのでぼちぼちで応えてもらえるかも縁ではあるが。

 カメラを始めたのが2017年。写真選びに過去の写真を振り返ると歳を取ったと感じる。たくさんの人と出会い、その人達から様々なことを学んだ。人生の転機や境はあるのだろうし、本当は決めなければならない時期にある。それに仄かに悩む。

3.8.31

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 ある意味定期的な更新になっている。3カ月更新。

 関係の切れ目というのは出会いがあれば必ず訪れるもので、私にも久方ぶりにそれが訪れた。歳を取るとその切れ方にも、ある種の潔さのようなものが出てくる。昔から理由は違えど、ひとつの大きな壁を踏破できない。その都度、自分を省みる機会となるので、悪いものではないと考えているが、悪い”癖”のようになっていないかが心配だ。

 自分を成長させてくれる出会いには毎度感謝している。そういう点で、私を変えてくれた出会いには、結末はどうあれ感謝しているし、そういった人たちは皆、幸福であってほしい、と思う。それは本当に純粋な心で願う事だ。

 二年半、本当にお世話になりました。必ず幸せになってください。

 

 もう一点、昨日、異動前にお世話になった先輩のお子さんが交通事故で亡くなった。通学途中、左折する大型トラックに巻き込まれたらしい。こんな凄惨な事故に遭われたお子さんと先輩に、かける言葉などあるはずもなく、ただただ報告のみを聞いている。今一度、車やバイクの運転について考える必要があるし、二度とこんな事故が起こらないよう心から願うと同時に、こういったあってはならない事故が起こらないよう、社会が真剣に再発防止に取り組むべきだ。実際にお子さんにも会ったことがあり、非常に綺麗な女の子だった。命の重さは誰しも等しいが、それでも、私よりも無限の可能性や限りない未来のある方が亡くなるのは本当に悲しい。あの日もう少し遅く家を出ていれば、あの交差点に信号があれば、あの通学路がスクールゾーンに指定されていれば、あの瞬間その子があそこにいなければ。単純なたらればの話ではなく、すぐに対策できることもあるだろうと思う。

 今はただ、ゆっくり休んでください。

 

 悲しいことが多いのは嫌だな。私の大事な人達はみんな幸せであってほしい。

3.6.15

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 もうほとんど閉鎖してるのではないかと思うくらいの更新頻度となった。

 思った以上に新しい業務に苦戦している。人と話すのがさほど得意でないので、思ったこと・言いたいことをうまく伝えることが、どれほど大変なことか痛感している。自分が理解していることを、それについて何も知らない相手に伝えるときにうまく伝えることができないということは、つまり自分自身も深く理解できていないに等しい。

 今年の蛍。写真を撮り始めた頃に撮った蛍とその数年後に撮った蛍、そしてこの蛍。写っているものは同じでも、そこに在る思い出は色々だ。自分が進歩しているのか分からなくなるが、歳を取るにつれてすべて良い思い出となればいいな。実は私がカメラを始めた理由は、そういう類の儚い思いが一因だ。繋ぎ留めたかった一心で。

 左下の点滅して写っているヒメボタルが可愛いな。

3.3.6

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 すっきりしない感情が続いている。一番の原因は老若男女、古今東西で頻発している悩みだ。こういうものは悩んだり迷ってはいけないものだと誰に聞いても言われるが、それで悩んでしまった場合はどうすれば良いのだろう。それ以前にこの問題に関して混在している悩みもあって五里霧中。ひとまず髪を切ろう。悩みごと切れればいいな。